(2016.11.29 更新)
一言、『壮絶』とはまさにこのことを言うんだなという一冊でした。
羽生善治に並ぶ天才棋士・村山聖について書かれた『聖の青春』を読みました。
松山ケンイチさん主演で実写映画化され、2016年11月19日公開されました。

こちらの予告編の動画を見ていると、マツケンの村山聖の演じぶりも見事ですが、羽生善治役の東出昌大さんの役作りも凄まじいです。
※映画を見てきました。映画『聖の青春』の感想記事も書きました。
映画を鑑賞する前に、原作を読んでみました。
原作の感想を書こうと思ったのですが、その上でどうしても伝えないといけないことが出てきました。
それが羽生善治という棋士の凄さについてと、将棋のタイトル戦がいかに過酷であるかということです。
そのために、こちらの記事を書きました。
羽生善治について書いた記事を読んでなくても伝わるように書くつもりですが、しっかりと羽生善治の凄み・タイトル戦の価値を理解した上で、本稿を読んでいただけると、「村山聖」という天才棋士の生き様がより伝わると思います。
村山聖とはどんな人?
1969年6月15日、広島県安芸郡府中町出身のプロ棋士でした。
1983年に奨励会に入会。わずか2年11ヶ月で四段昇格します。谷川浩司・羽生善治を凌ぐ異例のスピードで、1986年17歳の年にプロデビューを果たしました。
「谷川を倒して名人位に就く」その一心だけで、デビュー後も破竹の勢いで勝ち続けます。1990年には若獅子戦で佐藤康光を破り棋戦初優勝を飾ります。
1995年にはA級八段に昇格し、念願の名人位を射程圏に捉えます。
しかしながら、1998年8月にA級に在籍のまま、29歳にてその生涯に幕を閉じました。
死因は癌です。
村山聖の人生は、幼い頃から腎ネフローゼという重病を抱えながら、晩年には癌に悩まされる病魔との戦いの人生でもありました。
ネフローゼと将棋との出会い
5歳の時に、ネフローゼが発症し、以降は入退院を繰り返すようになりました。
入院時に、父親の勧めで将棋を覚えます。詰将棋や将棋本を徹底的に読み込むことで、誰と対局することもなく、自身の棋力を向上させていきます。
中学生になり、地元の将棋道場で対局したところ、あまりの強さに異例のアマ四段の認定を受けました。入院中に人智を超えた集中力を発揮して、将棋本を読み込むだけで恐るべき棋力を身につけていたのです。
特に終盤は無類の強さを発揮して、後にプロ棋士たちからも「終盤は村山に聞け」と言われるほどの終盤力を持っています。
1983年に谷川浩司が史上最年少で名人位を獲得するというニュースに触れ、村山聖の中でプロ棋士になって谷川を倒すという目標が生まれました。
しかし、身体を病魔に苛まれている村山には時間がありません。
その中で、大阪の奨励会に入会したいという旨を、家族に対して
谷川を倒すには、いま、いまいくしかないんじゃ。
という魂の叫びを伝えます。
村山の熱が伝わり、大阪行きの決断を家族一同支持してくれました。
病気の身でありながら地元・広島を離れて、遠く大阪の地で家族と離れて生活する苦労。プロ棋士を目指すことが、どれほど過酷な道であるか。本人も家族も十分に承知した上でです。
奨励会入会後からプロ棋士になるまで
ただただ強くなりたい、強いやつに勝ちたい。その一心だけで、類まれなる集中力と勝負にかける意気込みの違いもあって、圧倒的な勝率で勝ち進んで行きます。
腎ネフローゼという重篤な病いに侵されながら、谷川浩司・羽生善治など並み居る一流棋士たちよりも早く2年11ヶ月という歳月で四段昇格、つまりプロ棋士へとなったのです。
村山という男が将棋に賭ける尋常ならざる意気込みが伝わります。
プロデビュー後、初めて「あの男」との対局
順位戦C2級からスタートし、当時のC2級には羽生善治、森下卓(現九段)、井上慶太(現九段)、佐藤康光(名人獲得経験あり・現九段)などなど、のちに羽生世代と呼ばれる天才棋士がうごめく激戦リーグでした。
そんな激戦区C2級を村山は鬼のように勝ち進み、C1級への昇格を果たします。翌年のC1級の順位戦では、ついに羽生善治との初対局に臨みます。
この戦いにおいて、村山は羽生に敗北を喫します。
対局は14時間以上行われて、終局は日付を越えた0時48分でした。
そのあと、感想戦は深夜3時過ぎまで行われ、誰もいなくなった対局室で村山はこうつぶやいたとされます。
「何て、強いんだ」
髪をかきむしり、その両手で顔を覆い、もう一度呟いた。
「何て、強いんだ」
ただの1敗以上の衝撃を村山は覚えました。
倒すべき相手は谷川浩司だけではありませんでした。羽生善治という無類の強さを誇る同世代のライバルが、村山の前に立ちはだかったのです。
打倒・羽生、そして谷川への初対局
村山はトップ棋士を凌ぐほどの終盤力を持っている一方で、序盤・中盤でミスをして不利な展開に陥りことが多かったです。
そのため、より高みを目指すために苦手な序中盤の克服に乗り出します。
ここでも圧倒的な集中力を発揮して、序中盤の研究に打ち込みました。数年経つと、以前とは比べものにならないほど序中盤の力が磨かれ、序盤・中盤・終盤と隙がない棋士へと生まれ変わりました。
すると、あれほど強かった羽生善治にも連勝するほどの力を手にして、1992年ついに谷川の持つ王将位への挑戦権を獲得します。
この時23歳。幼い頃から何度も倒すことを夢見ていた谷川浩司王将との7番勝負に挑みます。
しかし、この7番勝負では0勝4敗のストレート負けを喫し、以後谷川には9連敗を喫すことになります。
将棋の世界の底なしに強い人たちに揉まれながら、村山は充実の日々を過ごします。
A級昇格と病状の悪化
将棋のタイトル戦は全国各地で行われます。地方への遠征、東京・大阪間の往復は当たり前のようにあるプロ棋士のスケジュールはかなりハードなものです。
腎ネフローゼという病気は、本当に調子が悪いと、指一本動かせないほどに衰弱してしまう病で、村山も対局に向かい前に自宅の階段を降りたところで倒れてしまい、近所の人に助けられそのまま将棋会館に送ってもらって対局するということが何度もあったそうです。
そのような壮絶な日々を奨励会入会からずっと送ってきているのです。
すべては名人になるためです。
その名人への挑戦者を決めるA級に昇格したのは1995年のことです。
1995年と言えば、阪神淡路大震災のあった年で、大阪に居を構えていた村山聖も被災します。
谷川浩司の住んでいた神戸ほどではないにせよ、身近な棋士や奨励会員の中で、震災により命を落とす若者もいました。
自分は病魔に苛まれていて、いつ死んでもおかしくない自分は生き残っているのに、未来有望な若手棋士の人生が絶たれたことに精神的なショックを受け、病状が悪化してしまい、強制入院することになりました。
しかし、名人になる夢を捨てるわけには行きません。安静しろとの医者の命令を無視し、入院先の病院を脱走し、順位戦の対局を行っていました。
そんな状態にもかかわらずB1級を勝ち進み、念願のA級への昇格を果たします。
この頃が村山自身最も輝きを放ち、生き生きと過ごした時期だったように思えます。
自分自身そう遠くない死期が近づいていることを知ってか知らずかはわかりませんが、刹那的な生き方をしていた時期でもありました。
癌の発病と、順位戦の休場
1996年は病状の悪化とともに、順位戦の成績も悪化し、B1級への降格となりました。
翌1997年には膀胱癌が見つかり、膀胱の摘出手術を受けることになりました。
術後わずか1ヶ月後には順位戦に復帰して、復帰戦では総手数173手に及ぶ大熱戦を繰り広げた上で、敗北を喫しました。
このような誰が見ても無茶な戦いをしながらも、なんと村山はこの年A級への復帰を決めます!
しかし、翌1998年には癌が再発し、休場を余儀なくされました。
そして治療もむなしく、1998年の夏8月8日にA級在籍のまま29歳の生涯に幕を閉じたのでした。
壮絶な人生から何を思うか?
村山の羽生善治との通算対局成績は6勝8敗で2つ負け越しています。
この頃の羽生善治はまさに全盛期と言える強さで、圧倒的に勝ちまくり年度勝率が8割を越えていました。羽生からの1勝は、他の棋士からの20勝分に値するとも言われていた時代です。羽生善治が7冠を獲得した時期と、村山の活躍時期は重なっています。
これだけの病を抱えながら、全盛期の羽生善治とほぼ対等に戦っていたという事実が、村山聖の凄みを一層強調しています。
村山が逝去した1998年8月までの羽生善治の同年代の棋士との成績を比較すると、
対村山聖:8勝6敗(勝率.571)
対森内俊之:18勝9敗(勝率.667)
対佐藤康光:27勝15敗(勝率.643)
対郷田真隆:20勝11敗(勝率.645)
対深浦康市:6勝4敗(勝率.600)
対丸山忠久:9勝1敗(勝率.900)
という結果になっています。森内、佐藤、郷田、深浦、丸山と、そうそうたる棋士たちです。後の名人、タイトルホルダーばかりです。
そのような棋士たちよりも、羽生善治が最も苦戦した棋士が村山です。
もし、村山聖が健康な身体を手にしていたら、一体どんな怪物棋士になっていたのか。と思うと、胸が痛みます。
そして、わたし自身非常に健康的に過ごしているにもかかわらず、これだけ何か一つのことに打ち込んでこれたのだろうか?と思うと、恥ずかしくて顔向けできない想いに駆られます。
しかも、村山聖はわたしの今の年齢である29歳でこの世を去っているのです。
29歳の年に村山聖について書かれた本に出会えてよかったなと思います。
本書は、村山聖の壮絶な人生を非常に読みやすく、引き込まれる文章で連ねてあり、1日足らずで一気読みしてしました。
プロ棋士の生き方もよくわかる一冊で名書と言えましょう。
将棋のことをよく知らない人でも、読み応え抜群なので非常にオススメの一冊です。
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