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あきさねゆうの荻窪サイクルヒット

アラサー男子がブロンプトン・ロードバイク・プロ野球・メジャーリーグ・ラーメンネタ中心にお送りします。

『ラ・ラ・ランド』の言葉にならない感想を言葉にしてみた【途中からネタバレあり】

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ただ単に、話題作というだけでは見なかっただろう。

基本的にミュージカルの類は好きではない。
演技の途中、ストーリーの途中で突然歌ったり踊りだしたりすることに対して、違和感しか覚えないからだ。

『ラ・ラ・ランド』への印象もそんなものだった。

だが『ラ・ラ・ランド』の監督は、2015年に公開された『セッション』を撮ったデミアン・チャゼルとのこと。

チャゼル監督は、今年32歳になったばかりの非常に若い監督だ。
当時20代後半から30歳に差し掛かった人が、『セッション』という濃厚なストーリーと、深いメッセージ性を持った映画を撮るなんて凄まじい…と、感動したものだった。

『セッション』を撮った監督が、「恋愛ストーリーのミュージカル」を撮った??ということに疑問を抱いた。
少なくともわたしがあまり好きではないミュージカルとは恐らく一線を画しているように思えた。

そして、周りでの評判もすこぶる良い。
いよいよ鑑賞の決心がついた。

音響が重要な映画とのことで、立川シネマシティの『極上音響』上映を鑑賞してきた。


さて、ここからはネタバレありの感想を書いていこうと思う。



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ネタバレあり!!
ネタバレあり!!
ネタバレあり!!



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では、ネタバレありの感想をどうぞ。

映画『ラ・ラ・ランド』のネタバレあり感想

とは言ったものの、言葉にできないのである。
鑑賞直後のわたしは、『お・・・おお・・・お・・・おぉ』という感じで、頭の中が混乱していた。

言葉になる感想を強いて言えば、「ジャズ」を聴いてみたくなったので、家に帰ったら「ジャズ 初心者」とかで検索しようかな、といったレベルである。

家に帰りながら感想を整理しようと思い、まずは帰路についた。
なお帰る途中、頭の中ではオープニングで流れた音楽のメロディが延々と反芻していた。

ところが、結局何も整理できないまま自宅に帰ってきて、今こうしてパソコンの前で感想記事を書いている。

『セッション』について考えてみる

『ラ・ラ・ランド』のことを考える前に、『セッション』の何が良かったかを書こうと思う。

主人公のニーマンがジャズドラムにとことん打ち込み、鬼軍曹のようなフレッチャーの尋常ではない指導を受けながら才能を伸ばしていく。
起きている時間の全てをドラムに捧げるほどに打ち込んでいるため、恋人とも別れ、家族からも理解されないまま、ひたすらドラムを叩く。

にもかかわらず、重要な演奏会に行く途中に交通事故に遭ってしまい、血まみれになりながらも責務を果たさんと、会場入りしドラムの前に座る。
しかし、怪我をした手ではまともにドラムを叩くことが出来ず、演奏はボロボロ。

そんなニーマンに対して、フレッチャーは『おい大丈夫か?』『無理するな』といった心配やねぎらいの言葉をかけることは一切なく、『お前は終わりだ』と突き放した。

これがプロフェッショナルなんだろうなあと、心に沁みたのだった。
常識では考えられない努力・練習量の果てに、一発勝負の場では天地がひっくり返ろうとも結果を出さねばプロではない、という猛烈なプロ意識の前に頭がくらくらしたことを覚えている。

この映画を見てからというもの、気軽に何かに『打ち込んでいる』なんて言えなくなってしまったほどだ。

この『セッション』のストーリーに、『ラ・ラ・ランド』は似ているところが多い。

セブの夢みがちに見えて現実的な思考と、ミアの現実的に見えて夢みがちな思考

セブは、典型的な夢見る夢男くんといった感じで、自分が好きな音楽をやって成功したいという思いが強かった。
だが、バーのピアニストをクビになったように、セブの音楽は決して大衆受けするものではなかった。

そんなセブも、ミアとの出会いによって考え方を変えた。

セブの夢である、ジャズバーの店を持つことを本気で信じているミアの気持ちに応えるために、現実的に開店資金を貯めようと決意したのだった。
そこで、昔のバンドメンバーと共に、本当はセブ自身がやりたくはない大衆受けしやすい音楽をやりながらも、お金を稼ぐことを優先した。

そんなセブの姿を見たミアは、「本当にあなたのやりたい音楽なの?」という極めて正論を突きつける。
いやいやいや、お前のためじゃん!と心の中で思いつつも、それを言うとかっこ悪い(開店資金がないことがバレる)ので、「君がそうすることを望んだからだよ」みたいなよく分からない弁明になってしまい、二人は喧嘩する。

この流れがわかりすぎて辛かった…。
セブは極めて現実的に、夢の実現のための段取りを着々と実行中だった。
それも愛するミアの気持ちに応えたいという健気な想いでだ。
なのに、愛する人からは理解されない。
これは辛すぎる…。

結局、セブはバンドのアルバム制作とツアーで大忙しで、ミアは映画のオーディションに受かって海外で長期撮影することが決まり、二人は別れる選択をしたのだろう。


そして、映画の最終盤では、セブは見事自分のお店を持つことが出来て、ミアもミアで大女優の道を歩んでいた。

さらにミアは新たな伴侶を得て、子供も授かっていたが、
セブはミアと同棲していた頃のアパートに引き続き住んでいて、未だ独身のようだった。

そんなところに、ミアは新たなパートナーに連れられて、偶然セブの店に入った。
そこは、かつてミアが考えた『SEB'S』という店だった。

ミアの来店に気付いたセブは、思い出の一曲を演奏する。
演奏しながら、ミアとの過去がフラッシュバックする。

ただし、本当はこうしていたかった。という"たられば"な回想だ。

バーでクビを告げられた直後に、ちゃんと話していれば良かった。
ミアと成り行きで入ったジャズバーで、バンドの話を持ちかけてきた旧友を無視すれば良かった。
ミアの単独公演が満員御礼になればよかった。
ミアと結婚し、子供を生みたかった。

だが、それらは決して叶わない。
叶わないけど、思わずにはいられない。
という女々しい気持ちが含まれた悲しげなピアノを、ミアの前で演奏していたのだった。

演奏を終えて、ミアがお店を出ようとしたとき、振り返ったミアとセブは視線が合った。
セブはわずかに微笑んでみせ、ミアの幸せを祝福したかのような、
この時「おれはおれで頑張るよ」と吹っ切れたような、実にすっきりとした表情だった。

思うに、セブは努力型の人間で、極めて現実的な考え方を持った人間だと思う。
「観客なんてどうでもいい、おれはおれのやりたい音楽をやる」と言う感じの頃は、ただ単に本気じゃなかっただけではないかと。
本気になった瞬間から、自分のこだわりを捨て、やりたくない音楽に打ち込めるほどに現実的だと思える。

一方で、ミアは「これ以上はずかしめを受けたら立ち直れない」「夢は所詮夢」みたいな雰囲気で現実的なように見えるが、実際はかなりノリと勢いで何とかするタイプに見えた。
だからこそ、アドリブの語りを要求されたオーディションに合格し、晴れて大女優の道が開けたのだろう。
劇中でもミアが努力しているようなシーンは無かったし、ミアは才能型の人間なのだと思う。

才能型の人間は、いったん世に出てしまえば何をやっても大抵うまく行ってしまう。

努力型の人間は、時間はかかるとはいえ最終的にうまく行くが、才能型の人間と対抗するためには何かを捨てて挑まないと勝負にならない。
名声・経済・家族の全てを手に入れたミアに対し、セブは家族(恋人)を犠牲にせざるを得なかった。

という差が、あまりにも辛い。
残酷すぎる。

わたしもわたしなりに、将来の夢を持ってはいるが、特別才能があるとは思っていないので何かを犠牲にする必要はあると思っていた。
思っていたが、強欲なもので何とか全てを手に入れることは出来ないか考えていた。

だが『ラ・ラ・ランド』を鑑賞して、そのような甘い話はないのだと改めて思い知らされた。
今それなりに楽しい生活を送ってはいるものの、さらに何かを得ようとするなら、今の楽しい生活の中に占める何かを捨てる必要があるという現実を突きつけられたから辛いのだ。

才能が無い以上、何かを成し遂げるためには、セブのような生き方を選ぶしかないのだ。