正論なんて、誰にでも言うことは出来ます。
- 人様に迷惑をかけてはいけない。
- 不倫は悪だ。
- 国民の税金を使って公私混同するな。
などなど、巷では圧倒的な『正論』が世論の大半を占めていると思います。
こういう正論をドヤ顔で言う人が苦手、というか嫌いです。
日本人は「○○だから××するべき」と根強く教育されて来たので、「△△だからOK」「◆◆だからダメ」という善か悪か、1か0かのどちらかに決めたがる傾向にあると思います。
ですが、わたしはこの1か0かの考え方が、どうしても好きになれないです。「△△だからOKなんだけど、☆☆もあるよね」「◆◆だからダメなんだけど、**でも良くない?」みたいな、もっと中間の見方があってもいいはずです。
単純な疑問なのですが、人のルール違反・マナー違反を指摘する人は全くルール違反・マナー違反をしたことがないんですよね
「人様に迷惑をかけるな」という正論を言う人は、生涯で一度たりとも人様に迷惑をかけたことは無いんですか?
わたしは、少なからずルール違反・マナー違反を犯したことがあります。*1そのために、知っている人や知らない人から怒られ、恥の多い人生を送ってきたと思います。
だからこそ、ルールを守ることの重要さ・マナーを大切にすることの大事さを身を持って学んで来たつもりです。ルールを犯せ、マナーを破れ、なんて主張をする気は一切ありません。
先日、わたしは友人たちと渋谷で飲んでいました。
19時頃にお店に入り、店内はガランとしていて静かな空間でのおしゃべりを楽しんでいました。
20時頃に若い集団が大勢入店して来ました。大型なバッグを抱え、ゴツいボディをした人が多かったことから、どこかの大学の運動部の人たちだと思います。
すると、学生たちはとてつもない大声でコールをかけながら、どんちゃん騒ぎして飲んでいます。わたしたちは大声を張ってしゃべらないと、しっかりと聞き耳を立てて聞かないと目の前の人と会話も出来ないくらいの騒ぎです。
「あいつらうるせえな」と、わたしは思いました。
同時に、自分が学生時代のことも思い出します。あの学生たちに引けをとらないほどに飲み屋で騒いでいたことを。
わたしが学生のころ、サークルの飲み会を開くときは、人様に迷惑をかけないよう、怒られないよう、飲み屋自体を貸し切って飲み会を開くなど対策をしていました。しかし、他のお客さんもいるような飲み会では「コールは控えめにお願いします」と注意されていたことも事実。
当時は、注意してくる店員さんを「うるせえな」「そうは言っても仕方なくない?」と思っていました。
このことを思い出すと、わたしはこの学生集団を怒る気になれませんでした。
友人たちは「アイツら一体何なの?」「店に注意しろって言ってくるわ」などと言います。それは決して間違ったこととは思いません。
でも、わたしはかつて自分もああだったことがあるので、頭ごなしに否定するつもりになれないのです。
わたしは、学生が使うような安い店を選んだことが悪いと思いました。大人ならもっと良い店を選べよってことだと。結局、わたしたちは会計して、別の店に移動して、引き続き団らんを楽しむことにしました。
巷で数々の正論を言う人たちに改めて問いたい。
生まれてから、これまでに一切のルール違反・マナー違反は犯してないんですよね?
仮に過去にあったとしても、少なくとも現在は、一切のルール違反・マナー違反を犯してないですよね?
でないと、人にルール違反・マナー違反を問う資格はないと思いますし、人様にルール違反・マナー違反はダメだと教授している人たちはそうであって欲しいと願います。
人様に迷惑をかけたら「ごめんなさい」と謝って、反省すれば良い
今は、他のお客さんがいる場所で騒ぐことは迷惑だからやめた方がいいと思います。そんなことは当たり前です。
当たり前のことを当たり前にちゃんとやることは当たり前ですが、これも正論です。なかなか出来ない人がいることも理解しているつもりです。なぜなら自分がそうだから。
わたしはこの先の人生でも、人様に迷惑をかけずに生きる自信があまりないです。
自分の仕事ぶりで、誰かの迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。自分の至らなさで、親しい人に迷惑をかけることもあるでしょう。
もちろん、迷惑をかけないよう努力しますし、はじめから迷惑をかける前提で物事に取り組むつもりは毛頭ありません。しかし、誰にも迷惑をかけずに生きると言い切れるほど、「立派な人物」ではないと自覚しています。
だからこそ、迷惑をかけた時は「ごめんなさい」としっかり謝って、同じ過ちを繰り返さないよう、迷惑をかける前より大きな結果・成果を作ることができるよう努力して生きることが大切だと思います。
もちろん、謝って済まない出来事もあります。そのために法律があるのですから。
度を越えたルール違反・マナー違反はダメですが、その度量が狭いよ
オランダに旅行して感じたことは、徹底した自己責任です。
わたしが衝撃を受けた光景が、アムステルダム国立美術館の前にある「I amsterdam」というモニュメントの上に登る人々の姿です。
日本では、「登らないでください!」と注意する係員がいたり、「危険!登るな!」という注意書きが貼ってあるかと思います。
対してオランダでは、
「この『I amsterdam』という文字は、プロモーションのためのものであり、登るものではありません。この文字に登る場合は、自己責任でお願いします」
という注意書きが貼ってあります。
高いところに登って落ちたら危険だから登るな、と言うのは正論です。全くもって正しい。
ただ、危険を顧みず高いところに登りたい、という気持ちも否定出来ません。見晴らしは良さそうですし。
危ないけど、登りたければ登れば?という自己責任の考え方が、わたしはとても好きです。
もし、高いところから落下して、他の人を怪我させるようなことがあれば、落下した人は徹底的に裁かれると思います。そのためにルールは存在します。
一方で、「土足で文字の上に登って、足跡つけて汚しやがって!」とキレるような人はオランダにはいないと思います。
ちなみに、オランダ人のマナーは最悪です笑
ゴミはそのへんに普通にポイ捨てしてますし、歩きタバコ・信号無視・街中で大声で騒ぐなど日常茶飯事です。
それでも、彼ら彼女らは楽しそうでした。オランダは活力のある国。そんなイメージが強く残りました。
実際、世界幸福度ランキングでは第7位、日本は第53位です。*2
もう一つ、国外での事例を紹介したいです。
レンジャーズのマット・ブッシュ投手が、本拠地で行われたブルージェイズ戦で、ドラフトから12年後の遅咲きデビューを果たした。
パドレスにドラフトされたのは2004年のこと。パドレスと契約を結んだ直後、バーで起きた喧嘩に加わり、出場停止処分からキャリアがスタート。山あり谷ありのプロ生活が始まった。
打者として成績を残せずに投手へ転向も、ヒジの靱帯を断裂してトミー・ジョン手術を受けることに。2009年には傷害事件を起こし、パドレスから戦力外。直後に移籍したブルージェイズでも、酩酊状態で傷害事件を起こして解雇される。
翌年からはレイズに所属。マイナー生活を続けるが、2012年、春キャンプ中に免許停止期間中に飲酒運転、さらにバイクに乗っていた72歳の男性をひき逃げして逮捕された。懲役51ヵ月の判決を受けたブッシュは、刑期短縮で昨年10月に出所。レンジャーズとマイナー契約を結び、復活のチャンスを与えられた。
(一部、文を省略して掲載しております。)
日本で同じことをした人に対して、このような復活のチャンスを与えるでしょうか?*3
昨今の風潮を見ていると、「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉がある国とは思えません。
なんだか度量が狭くなっているなと感じることばかりです。そんなことで怒るの?騒ぐの?と。
確かに、以前では考えられないような悪事・法律違反、目に余るマナー違反が増えていることも確かです。
でもその原因は、「ルールだ!マナーだ!だから守るべし!」と正論で締めつける教育に対する反発なのでは?と思えるのです。
「○○をしたらダメだよ。こんな風に罰せられるよ。でも、やるかやらないか決めるのはあなた次第だから。」というスタンスが、ちょうどいいんじゃないかと、わたしは考えます。
なので、「ルールだ!マナーだ!などと、正義感をふりかざす人」が苦手なんです。正論は言っていることが正しいゆえに、ぐうの音も出ないような反論の余地のない息苦しさを生みます。人によっては苛立ちを覚えるでしょう。
職場の人や友人との会話で、「いや、確かにそうなんだけどさ…。」と腑に落ちない経験したことありませんか。
わたしは「人様に迷惑かけちゃダメだし、迷惑かけないように気をつけるけど、かけちゃうこともあるよね。」くらいのヘラヘラしたテンションで気楽に過ごしたいものです。
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オランダの文化、国民性について書いた記事です。日本とオランダどっちが素晴らしい、と論ずるつもりはありません。日本との違いがありすぎて非常に面白かったです。ただ、わたしはオランダが好きです。
*1:もちろん、犯罪を犯したことはありません。
*2:世界幸福度報告書2016-日本は本当に幸せな国? 国際幸福デー(3月20日)に寄せて
*3:その代わり、結果を出さないと叩かれる風潮はあると思います。