あきさねゆうの荻窪サイクルヒット

アラサー男子がブロンプトン・ロードバイク・プロ野球・メジャーリーグ・ラーメンネタ中心にお送りします。

超一流のプロ棋士は何を考えているのか?羽生善治の凄さを知るべし。

広告

最終更新日:2017年10月31日

f:id:saneyuu:20160306200724j:plain

将棋のトップ棋士である羽生善治さん。

その勇名は、将棋を知らない人々にも轟いていると思います。

わたしは各ジャンルの一流と呼ばれる人の生き様や考えていることに触れることが大好きです。

どんなジャンルであっても、そのジャンルで頂点に立つということは生半可なことではありませんし、不思議と共通していることが見えてきます。

その共通している部分を自分に活かすことができれば、頂点にたどり着かなくとも、仮に一流の1万分1くらいであったとしても、相当に自分を向上できると思っているからです。

そこで、今回はわたしが大好きな超一流のプロ棋士である羽生善治さんについて語りたいと思います。

そもそも将棋のプロ棋士ってどんな職業?

将棋は成り立ちは、諸説ありますが、今わたしたちが目にしている将棋を確立されたのは江戸時代のことです。

江戸時代は戦乱のない平和な時代だったので、将棋は架空の戦を将軍の前で披露する歌舞伎や能のような名人芸の一つでありました。

なので「名人」と呼ばれる資格は、当初は世襲で名乗る、もしくは推挙されて名乗るものでした。

これが昭和12年から実力制名人の仕組みが始まり、昭和24年には名人位を5期獲得した者が、引退後に「第○○世名人」を名乗る今日のシステムが出来ました。

世襲制と実力制を合わせて、今日までに名人位についた者は26名しかいません。

この名人への挑戦資格は「順位戦」と呼ばれるリーグ戦を戦って、その年の順位戦で最も戦績が良かったものただ一人が名人への挑戦資格を手にすることが出来ます。

「順位戦」は5部制からなっていて、プロ棋士になった人は5部にあたる「C2級」から戦い始め、「C1級」「B2級」「B1級」「A級」となって、「A級」で一番勝った人が名人戦への挑戦資格を手にします。

順位戦に参加しているプロ棋士は総勢130名程度です。

現役棋士で名人の経験者は谷川浩司、羽生善治、佐藤康光、丸山忠久、森内俊之、佐藤天彦の6名しかいません。

2017年度現在、名人経験者でかつA級に在籍している棋士は現名人である佐藤天彦、羽生善治、佐藤康光の3名しかいません。
それくらい将棋の世界でトップであり続けることは非常に厳しいことなのです。

また、将棋のプロとなるためには、「奨励会」というプロ養成機関を経て、そこからプロになれるのは年間に2〜3名という狭き門です。
東大入ることや、会計士試験に合格したり、プロ野球選手になる方が圧倒的に簡単で、宇宙飛行士になるより難しいかもしれません。

さらに「C2級」で一定数負けると引退勧告を受けるという厳しいシステムになっています。

つまり、プロ棋士というのは、常人の想像をはるかに超越した頭脳と棋力を持った選ばれし者であると言えましょう。

そのプロ棋士の中で、羽生さんの戦績は段違いに突出しているのです。

羽生善治の実績

将棋には7大タイトルと呼ばれるものがあります。

先ほど述べた「名人」に加え、「竜王」「棋聖」「棋王」「王将」「王位」「王座」の7つです。

どれも格式の高いタイトルである、1期でも獲得できるものなら瞬く間に超一流棋士の仲間入りです。

タイトルを取ることで、その棋士が出す本は売れ行きが良くなります笑
どのタイトル戦も毎年1回行われるので、タイトル獲得者は年間で最大7名誕生することになります。

さて、羽生さんはどれくらいタイトルを獲得しているかというと、通算98期獲得しています。(2017年10月時点)

現役での2位は谷川浩司さんの通算27期です。(2017年10月時点)
トリプルスコアで羽生さんの圧勝。それくらい羽生さんの戦績は圧倒的にずば抜けています。

そして、このタイトル戦という戦いは単純なものではなく、ものすごく厳しい戦いなのです。

タイトル戦で勝つ厳しさ

「名人」については、前々項にて「順位戦」を勝ち抜いて「A級」のリーグ戦で一番勝つことで、「名人」に挑戦することができます。

この順位戦は、お互いに持ち時間が6時間で、1日で対局が行われます。
対局開始は午前10時で、6時間の持ち時間を使い切ると1手1分未満で指す秒読み将棋となります。

途中で休憩も含まれるため、順位戦の終局時刻が日付をまたいで翌日になることも珍しくありません。

このような1局1局が重い戦いを年間通して勝ち抜いてようやく挑戦できるのが名人戦です。

その名人戦は、全7番勝負で持ち時間9時間で2日かけて対局します。

野球で言えば、日本シリーズだけ9イニングでなく、15イニングで勝負するようなものです。
丸2日間集中し続ける戦いを最大7回も行うことになるのです。

タイトル戦は概ねこのような形式がとられていて、

竜王戦:7番勝負、8時間、2日
王位戦:7番勝負、8時間、2日
王将戦:7番勝負、8時間、2日
王座戦:5番勝負、5時間、1日
棋聖戦:5番勝負、4時間、1日
棋王戦:5番勝負、4時間、1日

となっています。

2日にせよ、1日にせよ、非常に注目を集めるタイトル戦を戦うことのプレッシャーや精神的・肉体的な消耗度は計り知れないものがあります。

そのタイトル戦全てに参戦し、全てに勝ち抜くとなると、少なくとも25戦から43戦は、日本シリーズのような緊張感のある試合をこなさなくてはなりません。

羽生さんは1995年に6冠を獲得し、残すは谷川さんの持つ「王将」一つとなりました。

1995年の羽生vs谷川の王将戦7番勝負も歴史に残る名勝負となりました。

王将戦は1995年1月に第1局が指されました。ということは、この王将戦の最中に「阪神淡路大震災」があったのです。

谷川さんの地元は神戸でして、自宅は思いっきり被災をしてしまいました。

将棋どころではないだろう、という大方の予想・周りの配慮に反して「将棋指しが将棋を指さんでどうする」と、被災した自宅から13時間かけて対局場まで移動し、そのまま勝つ!というプロ中のプロの姿を見せていました。

地元・神戸の人を勇気付けたい一心で、羽生さんの7冠を阻止すべく、王将戦では熱戦が繰り広げられます。

そして、3勝3敗で迎えた最終第7局では、2日目に千日手が成立します。
千日手というのは、お互いが全く同じ指し手を繰り返す状態になり、先攻後攻を入れ替えてもう一度最初からやり直すというルールです。

指し直し局でも、40手目まで千日手局と同じ手順で進行しましたが、41手目に谷川さんが初めて手を変えた結果、この局は谷川さんの勝利となり、羽生さんの7冠を阻止したのです。

この時、羽生さんは「7冠への挑戦は、後2〜3年はできないかもしれない」と周りに語ったと言います。

周囲も、どれだけ羽生さんが強かったとしても、6冠のタイトルをすべて防衛した上で、再び谷川さんの持つ「王将」へ挑戦するという道はあまりにも険しすぎる、という見解でした。
なぜなら、タイトル戦の消耗度は通常の対局とは比べものにならないからです。

ところが、羽生さんはその後1年の間に、名人・竜王・棋聖・棋王・王位・王座のタイトルをすべて防衛し、谷川王将への挑戦権を獲得し、再び7冠獲得に向けて王将戦へやってきました。

この王将戦ではなんと羽生さんが4勝0敗のストレート勝ちを収め、1996年2月14日に史上初の7冠を達成しました。
この記録は今日までに、羽生さんただ一人が記録している唯一無二の快挙です。

7冠を取ってから、今日に至るまで

羽生さんは、プロデビュー4年目19歳2ヶ月にして1989年に「竜王」のタイトルを獲得してから、今日に至るまで1日たりともタイトルを持っていない時がありません。

この27年間ずーっと、何かしらのタイトルを保持し続けています。

2017年9月の王位戦で菅井竜也七段に敗れ、同年10月の王座戦では中村太地六段に敗れたことで、13年ぶりに一冠に後退しました。
2003年10月から2004年9月までの1年間を除くと、1992年10月から2017年9月までは少なくとも二冠以上をキープし続けていたことになります。
同期間でタイトルが一冠または二冠だった年は、2003・2007・2011年の3度のみで、他の年は三冠以上をキープしていました。

野球に例えると、27年間にわたって毎年首位打者や本塁打王などのタイトルを獲得し続け、22年間は三冠王を獲得していたようなものです。

将棋は読みのスポーツとも言われ、時には何十手も先まで読み切る力が要求されます。

当然、若くてフレッシュな頭脳を持った若手の方が脳科学的にも体力的にも有利で、実際に羽生さんは25歳という年齢で7冠を達成しています。

史上最年少で名人位に即位した谷川さんは現在54歳で、2003年を最後にタイトル獲得から遠ざかっています。

特に現代将棋はコンピュータによる分析も進んでいるため、序中盤の研究スピードが昔に比べて尋常じゃないくらい進化しています。

そのため、ちょっとした変化を覚えてないことにより、不利に陥ってしまうことが多々あるため、記憶力の面で20代の若手棋士には敵わなくなってきて、40過ぎると厳しくなってくるのは仕方がないことなのです。

しかし、羽生さんは45歳の現在でも、2008年から2016年までずっと名人戦に登場していました。

また早指しと呼ばれる、一般的には読みの力がものを言うNHK将棋トーナメントにおいても、並み居る若手棋士を押し退け、最多優勝を誇り、史上唯一の永世NHKトーナメント選手権者に輝いています。

タイトル戦では1日で終了する戦いと、2日間かける戦いでは、得意不得意が現れる棋士も少なくありません。

このように、将棋の中では早指しが得意な棋士、1日勝負が得意な棋士、2日勝負が得意な棋士と得手不得手があるようです。

陸上に例えると、NHK杯が短距離走、棋聖・棋王戦のような1日勝負が5000m〜1万m走のような中距離走、名人・竜王戦のような2日勝負がフルマラソンのような長距離走だという認識でOKです。

ということは、短距離ランナーは長距離が苦手で、長距離得意な人は短距離が早くない、みたいなことが一般的に成立します。

そんな中で、短距離でもめちゃくちゃ速くて、中距離も速くて、マラソンでも勝っちゃうような陸上選手を見たことがありますでしょうか?

羽生さんは、すべてのカテゴリーで20年以上勝ち続けている最強すぎる棋士なのです。

羽生さんという棋士は、世間が思っている10倍以上すごいとんでもない天才棋士なのです。

そんな羽生さんが大切にしていること

羽生さんは多くの著書を書いていて、将棋の解説本以外にもビジネス書も執筆しています。

才能とは続けられること』では、

ただ一局一局を大切にそこにだけ集中して指してきた。

とあります。

天才天才と呼ばれる棋士ではありますが、奇をてらったことをしてきたわけではないのです。
単純に将棋で勝つために、強くなるために、一局一局を大切に指してきたのです。

そのことをよく表すエピソードが『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語』に載っていました。

若手棋士の山崎隆之七段(当時)との一局、まだまだ中盤で難解な局面ではありましたが、山崎さんは秒読みに追い込まれていたこともあり、投了を宣言しました。

その刹那、羽生さんは瞬時虚をつかれたように声を上げ「この将棋はまだ長く続くはずだった」というようなことを強い口調で山崎さんに指摘しました。

山崎さんが大切に指してないという話ではなく、単純に勝った!やったぁ!というところに羽生さんはいるわけではなく、一局一局が一つの作品として残るのであれば、最後まで精一杯指し切ることがプロの務めである、という考えを持っています。

なので、羽生さんの対局動画を見るとよくわかるのですが、勝った時の終局直後の表情は、まるでズタボロに負けた棋士のような空気感なのです。

喜びを表に出すわけでもなく、何ならもっと良い手を指せたんじゃないか、そう言った気迫さえ伝わってくるのです。

参考:『【天才の詰み】 「羽生×郷田」ダイジェスト2013年(先崎)』【天才の詰み】 「羽生×郷田」ダイジェスト2013年(先崎) - YouTube

↑8:00くらいからの、勝負手を放つ直前の羽生さんの表情と、12:30くらいの郷田さんの投了直後の羽生さんの表情に注目です。先崎さんの解説も非常にわかりやすいので、羽生さんの強さ・凄みがよくわかる動画です。

大局観 自分と闘って負けない心』の本で、羽生さんの強さの決定的なところが分かりました。

単純な読みの深さや、序盤の変化を覚える力においては、若手棋士には敵いません。そこで、羽生さんは自分の指した手が10手後・20手後に良くなっているかどうかを判断する「大局観」を磨いているのです。

この「大局観」を養うには、「何百、何千と身を削るような真剣勝負に身を置くことで、自然と磨かれる」とあります。

一局、一局を真剣に積み重ねてきたからこそ、単純な記憶力勝負ではなく、大局観というコンピュータにも真似できない力で、羽生さんは45歳になった現在でもトップに君臨し続けることが出来るのです。

わたしが羽生さんから学んだこと

一つ一つのことに真剣勝負をしていくように、全力を尽くしていくことが大事だということです。

全力を尽くせばいいので、世の中に評価されるような、奇をてらったすごいことをしなくてもいいのです。

手を抜くことなく、しっかりと考えて、積み上げていくことでカタチになるのだと。

そうした地道の積み重ねの先に、通算獲得タイトル98期という偉業が成されているのです。

そんな羽生さんのすごさが伝わればいいなと思って、筆を置きます。

もう一人、羽生善治と並ぶ天才棋士・村山聖について書いた記事