秋山真之をご存知ですか。
わたしは、秋山真之の存在なくして今の日本は存在しえないと思っています。
司馬遼太郎の書いた『坂の上の雲』は、明治維新を経て世界の列強へと昇り詰めていく日本が、当時世界最強の国家であるロシアと戦争、いわゆる『日露戦争』を描いた作品です。
日露戦争での秋山真之の活躍は目覚ましく、『坂の上の雲』に内容が詳細に記されています。
『坂の上の雲』の主人公としては、真之の兄の好古と、真之と好古の同郷の友人にあたる正岡子規の活躍も描かれています。
もちろん、この二人の活躍も非常に重要ですし、真之に与えた影響も甚大です。
ですが、わたしは秋山真之が一番好きな歴史上の人物であり、最も尊敬している人物の一人です。
秋山真之は何をした人?
↑『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲』より秋山真之役の本木雅弘さん
日露戦争の艦隊作戦は、ことごとく秋山真之がやったもの
とは、当時の秋山真之の上司にあたる島村速雄少将(後の元帥)の言葉です。
日露戦争は、
・事前準備(戦費調達、戦艦建造、日英同盟等の外交)
・前半戦(旅順要塞攻略戦)
・後半戦(奉天会戦、日本海海戦)
・戦後処理(ポーツマス条約締結)
というパートに分けられます。
すべてのパートで、いろんな人物が全力を尽くし、様々な要素がかみ合って日本の勝利を導きました。
秋山真之は、実際に戦闘が行われた前半戦から後半戦にかけて、日本海軍の作戦立案を行った人です。
その集大成が、当時・世界最強とうたわれたロシアのバルチック艦隊を撃破した『日本海海戦』です。
日本海海戦は、
この海戦は日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。連合艦隊はロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力のほとんどを失わせたが、連合艦隊の損失は軽微という海戦史上稀な一方的勝利となった。
(Wikipediaより)
とあるように、日露戦争の勝利を決定づける戦いとなりました。
1867年の大政奉還から37年しか経ってなく、植民地も持たない極東の島国・日本が、世界最強国家だったロシアを破るというセンセーショナルな出来事だったのです。
日本海海戦において歴史の教科書では、『東郷平八郎』の名は知れています。
その東郷平八郎のもとで作戦立案し、実行していた人こそが秋山真之なのです。
もし日露戦争に日本が負けていたら?
少なくとも日露戦争以後の数十年は、ロシアの植民地となっていたと思います。
結果として、第二次世界大戦における、太平洋戦争は起きえなかった可能性も否定できませんが、第二次大戦以後の日本の急速な経済発展、技術革新は起きなかったと思います。
新幹線も、トヨタ自動車も、パナソニックも、いま存在していない可能性もあったと思います。
欧米の植民地政策において、植民地先で新たな技術が開発されたとか、新しい産業が生まれたとか、そういう話を聞いたことがないので、経済発展・技術革新は遅れに遅れたであろうと予想できます。
超大国・ロシアと、極東の島国・日本が、戦って日本が勝つなんて、当時の世界中の人々が普通に考えたらありえない話です。
その状況下で、日本海海戦にてロシアのバルチック艦隊を一方的にせん滅した衝撃と言ったらないです。
おかげで戦後の外交を相当有利に進められるようになったんだと思います。
日露戦争後の主な出来事は、
・日韓併合(1910年)
・第一次大戦(1914~1918年)
・国際連盟の設立(1920年)
・満州事変(1931~1932年)
・日中戦争開戦(1937年)
・太平洋戦争開戦(1941年)
・ポツダム宣言受諾により終戦(1945年)
となっていて、内容の良し悪しはともかく、やっていることは当時の世界の大国レベルの行動です。
経済も発展し、教育もしっかり行われ、軍事力強化・インフラ強化の過程で技術力が上がったことでしょう。
太平洋戦争で完全なる焼野原と化しましたが、教育を受け、磨いた技術を身につけている人は残りました。
1945年の敗戦からたった19年後の1964年には、東海道新幹線が開通し、世界最速を達成しました。
これは一例に過ぎませんが、結果として今日の日本では、平穏無事に便利快適な生活を送ることが出来ています。
今の暮らしがあるのは誰のおかげか?
今の暮らしから歴史を振り返って行きます。
今の便利で豊かな暮らしがあるのは、日本が経済的発展を遂げ、技術力を向上させてきたからです。
インターネットやパソコンは、アメリカやドイツの技術じゃないか?という指摘も分かりますが、経済的に豊かな国でないと、最新の技術を自国に活用しにくいと思います。
第二次大戦後の日本の経済発展なくして、今の暮らしはありえません。
その戦後の経済発展を支えたものは、間違いなく日本の技術力です。
工業製品を輸出しまくって外貨を獲得してきた歴史があります。
それらの工業製品の技術の礎となったものが、日露戦争以後、列強として力を蓄えるために、自国製の軍艦・自国製の戦車・自国製の飛行機をつくってきたことだと考えられます。
ものをつくるため、技術を開発するためには、お金がたくさん必要です。
だからこそ、技術革新には経済発展が不可欠であり、日露戦争で日本の独立を保ったことが非常に重大な出来事です。
日露戦争で当時の最強国家ロシアと対等に戦うことが出来たのも、1867年の大政奉還にはじまり、明治維新を経て急速に近代国家化したことが、1904年の日露戦争開戦にギリギリ間に合ったという見方もできると思います。
そう考えると、坂本竜馬の存在も大きいですし、スムーズに政権移譲を行った徳川慶喜の存在も大きいし、維新政府樹立に携わった志士の方々の存在も重大です。
浦賀にやってきたペリーもそう、むちゃくちゃやった井伊直弼もそうです。
振り返ればキリがないし、起こった出来事すべてに意味があって、今に繋がっていると思います。
その中でも、とりわけ奇跡的で、ここ無くして今の日本はありえないなと感じるのが、やはり『日露戦争』であると、わたしは考えています。
日露戦争の直接的な原因は、不凍港を求めたロシアの南下政策にあり、日本にとっては管理下にない対外的な要因なのです。
シベリア鉄道の全線開通が、1904年の9月の出来事です。
万全の状態でシベリア鉄道の運用が出来ては、資源に劣る日本が勝てるわけがないということで、1904年に日露戦争が開戦に踏み切っているので、ここでの戦争は避けられない出来事だったと考えています。
避けられないタイミングで起きた国家存亡をかけた一戦である『日本海海戦』の作戦を立案・実行した秋山真之の功績は非常に大きいと考えるのです。
秋山真之の存在なくして今の日本は存在しえない
という、冒頭の主張に繋がります。
戦争が素晴らしいとか、日本は素晴らしい、愛国心とかそういうことが言いたいのではなく、ご先祖様のおかげで、便利で豊かな今の暮らしがあってありがたいな、と思っているだけです。
なんでこんな便利で豊かな国になっているのだろう?と歴史を振り返ってみると、秋山真之はめちゃくちゃ大きな存在だと思うに至った、ということを伝えたいだけです。
わたしが人生を充実させたいだなんて言ってられるのも、先人のおかげであり、秋山真之のおかげなんだろうと思っています。
そう考えるキッカケになった本が、司馬遼太郎の『坂の上の雲』です。
わたしにとっては、人生を変える一冊となりました。
20代のうちに、読んでおいて良かった本No.1です。
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