チームの足りない戦力を補うために、即戦力として獲得される場合が多い外国人選手。
期待していた外国人選手が、活躍しなかった時のがっかり感は異常です。
とりわけ、シーズン途中・契約期間中にも関わらず退団するような選手には、何かしら致命的な落ち度があるように思えます。
単に打てない、単に打たれる、というだけではないプラスアルファのエピソードを持つ選手が多く、我々プロ野球ファンのハートをくすぐる存在であります。
調べてみると、そのような選手は結構いた上に打線が組めそうだったので、打線組んでみました!
途中帰国・途中退団した外国人選手で打線組んでみた!
1、三塁、ラスティ・ライアル
2011年シーズンに巨人に入団、33試合・0HR・4打点・打率.198・出塁率.238というどうしようもない成績でした。
シーズン終盤の9月3日の試合に代打で出場すると、アッサリと見逃し三振に倒れて、そのまま無断で帰宅しました。いわゆる『サンシンバックレ事件』です。
※参考:「週刊ライアル通信」特別配信号〜なぜ男は職場放棄をしたのか? - プロ野球死亡遊戯
これが巨人での最後の出場となり、シーズン中の10月1日に契約解除を発表。日本からサヨナライアルとなってしまいました。
ライアルのお父さんも元・プロ野球選手でして、1991〜1992年シーズンには中日に所属していました。(アロンゾ・パウエルの活躍もあって退団しました。)
そんな父を持つライアルは、2009年シーズン中にアリゾナ・ダイヤモンドバックスでメジャー初昇格を果たします。
昇格から6日目には、当時ロサンゼルス・ドジャースに所属していた黒田博樹と対戦しますが、ライアルの打った打球が黒田の頭部に直撃するアクシデントが発生しました。黒田は救急搬送され、生命の危機に瀕するほどの重傷を負いましたが、後に見事に復活。
この時、ライアルは黒田に『あなたにけがをさせてまで、私はメジャーで野球をやろうとは思っていない』という内容の手紙を送ったそうです。
当時26歳の若手選手だったライアルに対して、『僕が野球をやめたとき、彼にボールを当てられたと胸を張れる選手になってほしい』という男気を見せるメッセージを送ったそうです。
※参考:黒田博樹の“男気伝説” 広島復帰を決断した右腕が米国でも見せた心意気
この神対応にライアルは感激したに違いありません。2010年オフに日本の球団からオファーを受けた際にも、父親のみならず、あの黒田が野球をしていた日本でプレーしてみたい。という気持ちがあったのではないでしょうか。
なのに、職場放棄をして帰国するだなんて…。擁護のしようがありませんね。
なお、巨人を退団後、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、2012年以降はマイナーリーグや独立リーグでプレーするもメジャー復帰出来ないまま、2014年シーズンを最後にマイナーや独立リーグでプレーした記録は残っていないため、引退したと思われます。
2、二塁、ロバート・ローズ
1993年シーズンに横浜に入団後は、『史上最強助っ人』の呼び声も高いほどの1999年シーズンには打率.369・37HR・153打点という驚異的な打棒を発揮します。マシンガン打線の4番を見事に務め上げました。
さらにゴールデングラブ賞を獲得経験もあり、二塁という重要なポジションにもかかわらず、打力と守備力を兼ね備えた稀有な主力選手でした。
2000年オフに5億円を越える年俸を要求し、横浜との交渉は決裂。不思議と他球団も獲得に乗り出すことなく、ローズは日本球界を去ります。
事件が起きたのは、2年後の2002年シーズンオフのことです。
ロッテがローズと1年8000万円での契約を発表し、世間を驚かせます。丸2年間、メジャーはおろか、マイナーでもプレー経験がなく、ブランクを埋めることは本当に出来るのか?懐疑的な眼差しがローズに向けられます。
いざキャンプインしてみると、紅白戦で8打数無安打と、キャンプ中とはいえ、かつて横浜時代に打率3割を幾度と無く記録した打棒は見る影もありませんでした。
ただし、練習をサボっていたとか、無気力で取り組んでいたとか、そういうことは一切なく、練習に真摯に取り組む姿は他の選手に好影響を及ぼしていたそうです。
それだけに、突然「野球に対する情熱が無くなった」と言い残し、2月19日に退団が決定したことが残念でなりません。
仮に、シーズンインして3割に届かないアベレージだったとしても、悪い印象は持たれなかったことでしょう。
ローズが開幕前に退団を決意したことで、ロッテは緊急補強が間に合い、優良助っ人であるホセ・フェルナンデスを補強することに成功しました。人生何が起こるか分かりませんね。
3、右翼、マイク・グリーンウェル
途中退団と言えばこの人!と言っても過言ではないでしょう。
メジャー通算打率.303に加えオールスター出場経験もあるという、バリバリのメジャーリーガーという触れ込みで、1997年シーズンに阪神に入団します。
ところが、春季キャンプ中に「私用のため」アメリカに帰国します。続いて「背中に痛みがある」と訴え、アメリカで精密検査をしてから来日すると言い出します。
ようやく再来日したのは4月下旬のことで、1軍の試合に初出場したのがゴールデンウィーク真っ最中の5月3日のことでした。
そのわずか8日後の5月11日の巨人戦で、足に自打球を当てて骨折してしまいます。
『背中の痛みに加えて今度は足を折った。ケガが重なるということは、野球から身を引けという「神のお告げだ」』という伝説の名言を残し、5月16日には帰国してしまいます。
帰国後は、レーサーになったり、レッドソックスのチーム殿堂入りしたりしながら、『マイク・グリーンウェルズ・パーク』という遊園地というか、集いの場のようなものを経営しているようです。
2ドルで24球打てるバッティングセンター、子供なら5ドルから乗れるゴーカート(意外と安い!)、大人でも6.5ドルで19ホール回れるミニゴルフなど、価格設定は非常に良心的です。
It's here! Our ferris wheel is now open, and we can't wait to have you here to try it out. pic.twitter.com/jMzZM6V9Ri
— Mike Greenwells Park (@MikeGreenwells) 2016年8月25日
新しく観覧車が完成するなど、経営は順調そうです。「神のお告げ」に従って正解だったのかもしれません。
4、一塁、ジョー・ペピトーン
もう、是非ともWikipediaのヤクルト時代・ヤクルト退団後の項目を読んでいただきたいです。
いかに、クソ外国人選手であるかが分かります。
日本語版のWikipediaに書かれていないことを、少し調べてみました。
1975年にはペピトーンの自伝が出版されます。
※参考:Joe, You Coulda Made Us Proud
後にペーパーバック版やKindleとして再販されるなど、ペピトーン自身のアメリカでの認知度は高く、かつてのスター選手という目で見られているようです。
レビューを見る限りは、スター選手が自身の過ちを、自伝で認めていることを、高く評価しているように見えます。
また、ペピトーンの甥たちによって『Soul of a Yankee: The Iron Horse, the Babe and the Battle for Joe Pepitone』という小説も出版されています。
ルー・ゲーリックの幽霊が、後の人生におけるペピトーンの過ちを見せ、ベーブ・ルースの幽霊がペピトーンをかつてのワイルドな選手の姿を取り戻させるという、訳の分からない内容に仕上がっているみたいです。
というように、アメリカ国内で同等またはそれ以上の悪事を働いていたこと、自伝出版で懺悔したこともあって、日本での悪評はかすんで誰にも言及されていないようでした。
5、中堅、ジョニー・ゴームズ
2016年シーズンに楽天に入団しますが、開幕してわずか1ヶ月後の5月6日に退団が発表されました。
楽天での成績は、18試合・1HR・7打点・打率.169でした。
2013年シーズンの楽天は、ケーシー・マギーとアンドリュー・ジョーンズいう超A級優良助っ人を獲得し、球団初の日本一に大いに貢献しました。
ジョーンズはMLBでの実績も桁違いに素晴らしかったですが、MLBでレギュラーと控えの中間くらいの選手だったマギーの成功事例は楽天フロント陣に勇気を与え、以後、ケビン・ユーキリス、ギャビー・サンチェス、そしてジョニー・ゴームズと同じミスを繰り返すことになります。
ゴームズが途中退団した理由は『チームメートとのコミュニケーションが取れない』『地震が怖かった』とのことです。
※参考:楽天退団のゴームズ、米メディアに帰国の理由明かす 「地震も怖かった」 | Full-Count
地震が怖かったと言うのは仕方ないと思います。しかし、『コミュニケーションが取れないから結果出せませんでした』だなんて、プロ野球選手の言い訳として最低最悪です。
結果が出せなかったのは、楽天や日本球界のせいではなく、ゴームズ自身が同僚とコミュニケーションしようとする気持ちが足りなかったからではないのでしょうか。
このゴームズという選手は、2013年にはボストン・レッドソックスで、2015年にはカンザスシティ・ロイヤルズでワールドシリーズ制覇に貢献しています。
強いリーダーシップを持つ人格者として大いに評価されていました。そのような選手が日本にやってくるということで、わたしは大いに期待したものでした。
※参考:【WS2015】ロイヤルズの凱旋パレードとジョニー・ゴームズのスピーチ
フタを開けてみると、『チームメートとのコミュニケーションが取れなくて…』という子供のような言い訳をのたまう『人格者』だったわけです。
アメリカに帰国後に、ワールドシリーズを制したロイヤルズのメンバーがアメリカ大統領を表敬訪問した際に、自身が招待されていないことに、ゴームズは激怒したそうです。
※参考:【MLB】楽天退団のJ.ゴームズ、米大統領を表敬訪問できず憤り?!
いやいやいや!本来のアナタは、楽天で契約を全うしているはずで、そもそも表敬訪問をすることは不可能だったはずじゃないですか?
それなのに、『プロとしての野球人生の中で最悪のニュースかもしれない』と仰るのですか。最悪なのは、世界一の『人格者』に期待させられた、我々プロ野球ファンだよ!と、激おこですわ。
わたしは、ゴームズを絶対に忘れません。
6、捕手、ディンゴ
本名はデーブ・ニルソン。2000年シーズンに中日に入団します。
オーストラリア人のディンゴは、自国開催されるシドニーオリンピックへの出場を熱望していました。
しかし、メジャーリーガーは規定によりオリンピックへの出場が出来ないため、メジャー外のリーグへの移籍を希望していました。
1999年シーズンは、ミルウォーキー・ブリュワーズで正捕手として115試合に出場し、打率.309・21HR・62打点の好成績を残していました。また、同年のオールスターゲームに選出され、オーストラリア人として初めてメジャーのオールスターの舞台に立ちました。
ということで、中日としては現役バリバリのメジャーリーガーを『シドニーオリンピックへの出場』を条件としながらも獲得に成功しました。
シーズン前から、『ディンゴはシドニー五輪に出たいために日本に来ただけで、やる気は無い』という評価を受けていて、本人もシーズン中に怪我をしてシドニー五輪への出場が出来なくなっては困るということで、手抜きと見られても仕方のない低調なパフォーマンスが続きました。
慣れない外野手として出場を強いられた、という見方もあるようですが、メジャーリーグでは外野手として178試合・1300イニング以上出場しているため、不慣れという見方はおかしいです。
メジャーでの外野守備の通算の守備率は.974なので単純にうまくなかっただけでしょう。ということで、やる気が無かっただけです。
8月に中日を退団し、念願のシドニー五輪への出場を果たしすと、予選リーグで打率.565・長打率.957と猛打爆発させます。
しかし、ディンゴの奮闘も虚しく、野球オーストラリア代表は予選リーグ2勝5敗で決勝トーナメント出場は叶いませんでした。
その後は一時引退し、母国オーストラリアの野球チームで指導者として仕事をし、2003年にイタリアリーグ・セリエAで現役復帰します。
長打率.920・出塁率.561と、猛烈な活躍を見せ、2004年にはアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を果たします。
同年のアテネ五輪には、オーストラリア代表には主将として出場し、打率.296・長打率.441・出塁率.444を記録し、また捕手としても守備率100%・盗塁阻止率62.5%という鮮烈な活躍をします。準決勝ではクリス・オクスプリングとジェフ・ウィリアムズを巧みにリードして日本を破り、オーストラリア初の銀メダル獲得の快挙に大いに貢献しました。
2006年のWBC代表にも選出され、WBC後に引退します。
オーストラリア国内のディンゴへの評価は英雄的であり、水泳のイアン・ソープらと並び、オーストラリアスポーツ殿堂入りを果たしています。
2014年からは、オーストラリア国内リーグのブリスベン・バンディッツの監督に就任し、現在に至っています。
普通に素晴らしい選手だっただけに、やる気ないと分かっていて獲得した中日が悪い、という結論にわたしの中で達しました。
7、左翼、ロブ・ディアー
1994年シーズン、メジャー通算226HRという実績をひっさげて、阪神に入団します。
確かにホームランバッターではありますが、1991年シーズンは規定打席に到達しながら打率.179というメジャーリーグ歴代最低打率を記録、シーズン最多三振を4度記録するなど、非常に粗さの目立つバッターでした。
打率.179ながら、出塁率.314・長打率.386でOPSは.700を記録したりと、セイバーメトリクス的にはネタキャラとして、アダム・ダンと並びうる希少な存在でした。
余談ですが、ダン・アグラは2013年シーズンに規定打席に到達しながら打率.179を記録しますが、1991年シーズンのロブ・ディアーと全く同じ448打数80安打でした。
このへんのネタ感が個人的にはたまりません!
案の定、阪神では変化球攻めに苦しみ、打率.151・8HRと、日本の野球に全く対応出来ませんでした。
阪神退団後、1996年シーズンにメジャー復帰しますが、50打数30三振で、驚異の三振率.600を記録したところで引退を決意。
通算三振率は.363、通算打率.220、通算230HRという素晴らしい(?)成績を残した稀有な選手でした。
8、遊撃、ジェイジェイ
本名はジェイソン・ジョセフ・ファーマニアック。2008年シーズン、横浜に入団し、25試合・打率.157・2HRという低調な成績で、シーズン途中に帰国退団となりました。
ただ、この選手は非常に素晴らしい性格の持ち主です。
来日、初安打・初HRを打った試合では、ヒーローインタビューを受けていて、第一声が『アリガトウゴザイマス!』と片言の日本語で答えているあたりも、良い人なんだろうなあと感じました。
また、退団後の2010年にジェイジェイにインタビューした記事があります。
※参考:J.J. Furmaniak hopes for a little more baseball heaven
この記事では、日本時代のことを振り返り『それは素晴らしい経験だった』と語っています。
『最初は人の多さと電車に圧倒された。数ヶ月後にはシステムを理解できたよ。』
『でも、非常に素晴らしい人たちばかりで、サービスも一流だったし、店が綺麗だった。』
『そして、ファンは外国人選手のことを愛してくれて、最高だった。』
『お寺や神社などの美しい歴史的建造物を見る絶好の機会にもなったよ。』
など答えており、まるで日本の観光を楽しんできた人みたいでした。
決して悪い人ではありません。もの凄く良い人なんでしょう。だから、ジェイジェイはクソ外人でもダメ外人でもありません。ただただ“打てない良い人”だっただけです。
それくらい外国人選手でショートを守る選手の絶対量が少ないうえに、元広島・阪神のアンディ・シーツ、現巨人のイバン・クルーズ、現中日のアンダーソン・エルナンデスなど、レギュラー格で活躍している選手が多いポジションです。
逆に言えば、ショートのネタ外人枠はまだ空いているということなので、今後の活躍(?)に期待しましょう。
9、投手、ブラッド・ペニー
2012年シーズンにソフトバンクに入団します。
2006年に最多勝のタイトル獲得し、メジャー通算119勝という実績を誇る選手でした。
来日前の2011年シーズンは11勝11敗ながら、球威の低下が著しく、防御率5.30と打ち込まれていました。その中で、ソフトバンクホークスが獲得にこぎつけるも、肩の故障歴もあり、活躍は懐疑的でした。
来日初登板の試合では、3回1/3で64球を投げましたが、6失点・自責点4・被安打7・四死球3という内容で、5盗塁を許して敗戦投手となりました。
すると『肩の痛み』を訴え、福岡市内の病院で検査をするも「異常なし」。ペニーはゴネて帰国したりしながら、結局5月8日に退団が決定しました。
退団決定当日にペニー本人がしたツイートがこちらです。
It's great to be back in the states!!!!!
— Brad Penny (@BradPenny) 2012年5月8日
『アメリカに戻って来れて最高だぜ!!!!!』という堂々たるツイートです。
ちなみに、ソフトバンク退団後はサンフランシスコ・ジャイアンツと契約し、メジャー復帰しますが、リリーフとして22試合に登板し防御率6.11と打ち込まれます。全然最高じゃねえじゃないか。
その後もマイナーでの登板が増えるなか、現役を続けていき、2016年3月に引退を発表しました。
リリーフ、ダン・ミセリ
2005年シーズンに巨人に入団します。
MLB通算579試合に登板、2004年シーズンは74試合に登板し24ホールドを記録した実力を買われ、絶対的クローザー不足に悩まされていた巨人の守護神として期待されていました。
いや、ほんとに期待していたんですよ。今でこそバリバリのメジャーリーガーの来日って珍しくないですが、当時は3A級の選手の来日が大半だった上に、守護神候補でバリバリのメジャーリーガーというパターンは恐らくミセリが初だと思います。74試合登板24ホールドは偶然記録できるものではないので、とても期待していたのです。
ところが、案の定と言うべきか、オープン戦でボコボコ。ストレートも遅いというクソみたいな仕上がりにもかかわらず、開幕の広島戦では1点リードの9回表に守護神として登板します。
いきなりグレッグ・ラロッカに同点HRを浴び、ランナー2塁から緒方孝市に勝ち越し2ランを浴びてジエンド。開幕戦を最悪の形で落とします。
その後も低調なパフォーマンスが続き、しかも『二軍に落とせない』契約だった上に、「肩が痛い」と登板拒否をする始末。
ということで開幕から半月ほどしか経過していない4月19日に解雇となりました。
…だが、ミセリの伝説はここから始まります。
解雇当日に、東京ドームの荷物をまとめて報道陣を煙に巻いて立ち去ると、直後には浅草で目撃情報が。妻子を連れて浅草観光に行ったのです!
人力車に乗りながら記念撮影に応じるなど、ミセリノリノリです。
日本観光を十分満喫したのか、解雇から1週間ほど経ってからアメリカに帰国。5月にはコロラド・ロッキーズとマイナー契約の後、メジャー復帰を果たしますが、低調なパフォーマンスは変わらずでした。
2006年シーズンを最後にメジャーのマウンドから遠ざかり、2009年にアメリカ独立リーグで現役復帰した16試合に登板したのを最後にメジャー、マイナー、独立リーグ等でのプレーの記録は残っていません。
だが、わたしたちの記憶には永遠に残ることでしょう。
おわりに
シーズン途中帰国した選手のエピソードには事欠きません。ここに載せてない選手でも、アツい(?)選手は何名もいます。
途中帰国・退団という縛りを無くせば、もっと香ばしい選手がいるのですが、その話は語り始めると2〜3日はかかるので辞めておきます。
各球団はより一層スカウティングに精を出し、多くの外国人選手を日本プロ野球に連れてきてほしいなと思います。結果として、未だ見ぬネタ外人の発掘にもつながりますので…。
告知!10月19日(水)20:00からやきうキャスやります!
恒例の全マシニキさん(id:allmashit)との『やきうキャス〜日本シリーズ直前スペシャル〜』を開催します!
プレイボールは20:00で、22:00にはコールドゲームとなります。(毎回キリがないので、延長戦なし!w)
今回のテーマは、
・DeNAラミレスは名将なのか?
・広島・田中打ちすぎ問題
・大谷の165km/hを見たときの内川のリアクション
・ぶっちゃけ広島と日ハム、どっちが強いの?
で、お送りします。
(※予告なしに内容は変更になる場合があります。というかその可能性が高いです。ざっくりCSと日シリの話をする予定です。)
やきう好きの方は、ぜひお越しくださいませ〜!
詳細は全マシニキ (@allmashit) | Twitterとあきさねゆう@サイバナ (@saneyuu) | Twitterで、お伝えします。
・当サイトは日本プロ野球を応援しています